最高裁判所第一小法廷 平成10年(行ツ)122号 判決 2000年7月17日
上告人
甲
右控訴代理人弁護士
大音師建三
被上告人
西宮税務署長 川瀬明
右指定代理人
伊藤敏治
右当事者間の大阪高等裁判所平成九年(行コ)第六号更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成一〇年一月三〇日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人大音師建三の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事業関係の下においては、上告人の不動産所得の計算上本件費用を必要経費に算入することができないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎 裁判官 町田顯)
(平成一〇年(行ツ)第一二二号 上告人 甲)
上告代理人大音師建三の上告理由
一 本件控訴の争点は、本件贈与に関して上告人が納付した不動産所得税及び登録免許税(以下「本件費用」という。)が、所得税における不動産所得の計算上必要経費に算入することができるか否かである。
所得税法第三七条一項は、不動産所得の計算上必要経費に算入すべき金額は、別表の定めがあるものを除き、所得の総収入金額を得るために直接要した費用及び所得を生ずべき業務について生じた費用の額とする旨定めている。本件はこの条文の解釈を巡る訴訟である。
上告人は、本件贈与を受けた不動産について、現在賃貸業を行っているのであり、このため支出された本件費用は原則として必要経費として算入するべきであると考える。
二 上告理由第一点
原判決は、所得税法第三七条一項の解釈を誤った違法がある。この違法は判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背であって、原判決は取り消されるべきである。
(一) 原判決は、本件費用に関して、次のように事実認定をしている。
上告人の父乙は、その妻丙が昭和五九年九月に死亡したことにより、同女が所有していた本件土地を含む西宮市近辺の不動産を相続した。右不動産は第三者に賃貸されており、乙は、この不動産賃貸業を継続することになった。
しかし、乙は、医学概論、フランス哲学を専門とする医学博士、文学博士で大学の名誉教授であり、その後日本学士院会員に推挙されており、当時七九歳(明治三七年八月七日生)と高齢であり、それまで不動産賃貸業をしたことがなく、これに関する知識や関心もなかったことから、長男であった上告人に本件不動産賃貸をすべて任せることにした。
そこで、上告人は、本件不動産賃貸を行うために、東京での勤めを辞め、乙のいる西宮市に帰郷して、昭和六〇年二月以降、本件不動産賃貸の全権の委任を受けて、乙の青色事業専従者として本件不動産賃貸に従事するようになり、賃借人との交渉、不動産関連資格の取得、不動産有効活用のための情報収集及び知識の取得、地元不動産関連の専門家との交流等の不動産賃貸に関する事務を、専ら自己の判断で行っていた。
乙及び上告人は、上告人が乙の営む不動産賃貸業の青色事業専従者として経験を積むうち、右不動産賃貸業を学士院会員までつとめる高名な学者である乙が事業主として上告人に給与を支給してその実務を担当させるよりも、不動産を上告人に移転して上告人が事業主となって行うほうが、賃貸借を巡って紛争が生じた場合でも乙の名声を傷つけずかつ賃借人との交渉も積極的にできると考えるようになった。
右の結果、上告人は税理士と相談のうえ、上告人が事業主となる方法として贈与による方法を選択した。
上告人は、父乙から本件贈与を受けた後、本件土地につき、自己の名義で引き続き本件不動産賃貸業を行っている。これにより、本件費用を支出した。
以上が原審の認定した事実である。
(二) つまり、本件不動産は従前は父乙の業務のために賃貸の目的に供され、本件贈与後、上告人の業務のために従来通り賃貸の目的に供されているのである。
しかも、本件不動産賃貸業は、丙の時代からの家業であり、上告人も父乙のいわば家業を贈与の形で承継したのである。
―原判決は、この承継を相続の前提と考えて、業務の目的性を否定しているが、この誤りについては後述する。―
ところで、必要経費とは、「所得を得るために直接要した費用」「業務については生じた費用」と規定されている。基本通達三七―五は、「業務のように供される資産に係る固定資産税、登録免許税、不動産取得税は、当該業務にかかる各所得の金額の計算上必要経費に算入する」と規定している。
つまり、本件費用はまさしく、前記基本通達に規定する登録免許税と不動産取得税そのものであるうえ、本件不動産は上告人の業務の用に供されるものであることは前述認定から明らかで、本件費用もこの資産に係る費用であることも、前記認定から明らかで、本件費用はまさしく基本通達三七―五に該当する必要費用である。
本件費用は、前記所得税法第三七条一項の必要経費にあたるのである。したがって、上告人の本訴請求は認容されるべきである。
以上から、原判決は取り消されるべきものである。
(三) ところが原判決は第三、二、4において、「ところで、所得税法においては、ある支出が必要経費として控除され得るためには、それが客観的にみて事業活動と直接の関連をもち、事業の遂行上直接必要な費用でなければならないというべきである。先にみた事実によれば、本件費用は、控訴人が実父乙から本件土地の贈与を受けたことに伴い生じた費用ということができる。そして、贈与は、財産の移転自体を目的とする無償行為であるから、贈与によって資産を取得する行為そのものは、所得を得るための収益活動とみることはできないというべきである。控訴人が本件土地の贈与を受けたことが、不動産賃貸事業の用に供する目的であり、その後同事業の用に供されたからといって、贈与によって本件土地を取得した行為そのものの性格に変化はなく、収益活動となるものということはできない。
そうすると、本件贈与は、家事に関して行われたものであり、このことは、本件土地が不動産賃貸の用に供されていたとしても何ら異ならないというべきである。
以上によれば、本件贈与に伴い支出された本件費用は、所得税法三七条一項にいう総収入金額を得るために直接要した費用及び業務について生じた費用であるとはいえず、また、所得税法第四五条一項一号及び同法施行令九六条一号にいう家事上の経費に当たるが、その主たる部分が業務の遂行上必要なものであるともいえない。
したがって、本件費用は、不動産所得の計算上必要経費には含まれないものというべきである。」と判断し、上告人の請求を認容しなかった。
これは、前記のとおり所得税法三七条一項、基本通達三七―五の解釈を誤った違法がある。
(四)
<1> 所得税法第三七条一項及び、基本通達三七―五は、不動産の譲渡について、贈与や売買を区別していない。不動産の譲渡に伴う経費・費用である登録免許税、不動産取得税を必要経費としていることから判るように、不動産の譲渡を受けること自体も「業務」つまり所得を得るための行為を解している。そのうえで、前記規定は譲渡を受ける行為自体について、これが無償行為であるとか、又有償行為であるとかを区別していない。したがって、この解釈上無償行為である贈与はこの規定では排斥される理由はなく、前記認定にかかる贈与はここでいう譲渡に該当すると解されるべきである。
<2> さらに、贈与自体が収益活動ではなく、家事に関して行われたものであるとか、贈与は財産に移転自体を目的とする無償行為であるから「所得を得るための」活動ではないと原判決が判断している点について、これは全く誤りである。「所得を得るため」の活動は、売買であろうと、贈与であろうと、有償無償を問わず、所得を受けるため活動としてあり得るのであって、この原判決の判断は誤りである。
(五) 本件贈与は上告人自身の業務の開始に是非必要な行為であった。
この点について、原判決の事実認定は明確に、
「乙及び上告人は、上告人が乙の営む不動産賃貸業の青色事業専従者として経験を積むうち、右不動産賃貸業を学士院会員までつとめる高名な学者である乙が事業主として上告人に給与を支給してその実務を担当させるよりも、不動産を上告人に移転して上告人が事業主となって行うほうが、賃貸借を巡って紛争が生じた場合でも乙の名声を傷つけずかつ賃借人との交渉も積極的にできると考えるようになった。」
旨の認定をし、上告人の業務開始のため必要であったと認定している。
(六) ところで、原判決は、この承継を相続の前渡しと考えているようであるが、この点についてふれる。
本件は上告人の家業の承継を目的としてなされたものである。このように家業などの承継とこれに伴う法律行為の全ては、これ自体は「業務」または「事業」である。
原判決も、個人経営の業務・事業や中小企業の経営者の事業の承継自体について、この業務性を否定する旨判断はしていない。この事業の承継は、相続により発生する場合もあるが、よりスムーズに承継をするため、事業主の生前に資産自体を譲渡(売買又は贈与)したり、株式の譲渡(売買又は贈与)をする等の方法により、行うのである。税務関係諸法は、これらが行われることを前提として、諸法等を整備し、又資産の評価についても規定しているのである。
これらの事業承継は、ほとんどの場合、相続を前提としている。家業の事業主や創業者などからいわゆる二代目や次世代に家業を移行する場合、子や孫の相続人がこの承継人に指名されるのが大半の例である。これは家業の事業主や創業者などの相続が前提となっているからこそである。甲一〇号証、同一一号証の事業承継も、この前提で立論されている。
したがって、この承継に際して、相続の場合を想定して、これを踏まえた立案(つまり、外の相続人対策)がされることは当然の事態として発生する。この相続を前提とした事態があったとしても、事業承継は相続の前渡し、つまり、相続による遺産分割の先取り行為とならない。
あくまでも、事業の承継に力点があるのであって、結果として相続の前渡しのようになったに過ぎない。
原判決は、この点を取り違えている。原判決のように相続の面を強調すれば、前記事業承継はほとんど、本件のように、収益活動ではないと認定され、「家事行為」であるとの認定を受けることになる。これは、多くの税理士の行っている事業の承継がいわば、大部分が家業行為であると宣言しているようなものであり、これが実際に与える影響は多大である。
本件も、相続は念頭においたものの、上告人の業務の開始に是非必要な贈与であった。
原判決はこの解釈を誤った。
(七) 本件は前記したように、あくまでも上告人のなす事業・業務のためになされた贈与であって、それが相続の前渡しの性格をおびるからといって、この業務性ないし事業性は否定できない。所得税法施行令九六条一項等は、家事上の費用と業務の遂行上の必要な費用が、混在することを前提として規定されている。
つまり、家事上の費用の側面はあっても、業務の遂行上必要な費用は存在するのである。本件贈与は、その意味である程度の混在があったのである。しかし、主要な部分は上告人の業務・事業の必要のために行われた本件贈与であった。家事上の側面ばかり強調した原判決は、所得税法第三七条一項の解釈を誤ったものと言わざるを得ない。
三 上告理由第二点
原判決は、所得税法第四五条一項の家事費、家事関連費の解釈について誤ったものであり、前期同様判決に影響を及ぼすと明らかな法令違背である。
原判決は本件贈与が家事に関して行われるとした判断している。
そもそも法第四五条一項にいう、「家事費」とは、人間の衣食住に関する支出を始めとして、その社会的精神的、文化的生活を営む上で必要とされる諸出費を意味する。しかしこの法的な意味は、「必要経費」でないものを家事費と述べるにすぎない。したがって、必要経費と考えられないものを「家事費」にすぎないと判断しているにすぎない。
つまり、家事費は所得の享受・処分という性質を持つもので、所得金額の計算上控除されないのは自明のことである。しかし、家事費と必要経費は概念上区別は出来ても、この事実上の区別は画然としているわけではない。むしろ、講学上、必要経費でないものが家事費とされているに過ぎない。(注解 所得税法七七七頁~七七八頁)つまり、必要経費か否かの判断をすれば、これに当てはまらない場合、これを家事費と概念に入れればよいわけである。
原判決は、本件贈与の主たる目的は乙からの相続の前渡しであるとして、これを家事上の経費に当たるとした。―原判決第三、三
これは、巡った判断である。本件は二で前述したように上告人が不動産の名義人となって、つまり、事業主となって行った方が賃貸借を巡って紛争が生じた場合でも、乙の名声を傷つけず、かつ賃借人との交渉も積極的に出来るとして、本件贈与を受けたのであって、これはまさしく上告人の事業のために行われたものであることは明らかである。
したがって、原判決には、所得税法第四五条一項の解釈を誤った違法があり、取消を免れない。
四 最後に
本件は、繰り返し述べているように、家業の承継を巡って、その手段として贈与の方法を選んだのであり、家業の承継自体は、事業ないし業務と認定するべきところである。これらは多くの税務関係者によって行われていることである。しかし、一面、家業の承継は相続を抜きにしては語れないのである。
最高裁判所としても、この実務の状況をふまえて、明確な判断を示すべき事案であると思料する。
以上